寺家ふるさと村の町田市側、三輪町の谷戸田の再生を始めて5年ほどが過ぎようとしたある日、何者かが、山の尾根からトラックいっぱいの瓦礫を投棄している場面に出くわした。
「何をしている!」私は大声で叫んだ。すると、「おれの山に何を捨てようが、おれの勝手だ!」という声が帰ってきた。私は耳を疑った。それまで私は、地主はみんな、必死になってこの環境を守り維持しているものとばかり思っていた。
しかし、現実は違っていた。農家の次の代の息子たちは、耕作放棄地を残土置き場にし、不法投棄を容認するまでになっていたのだ。これが現実なのか……私は脱力感を抱くと同時に、問題解決のための早急な対策が必要だと強く感じた。
横浜市の寺家ふるさと村が今のかたちで残された理由には、地元の理解者の存在が大きい(寺家ふるさと村の成り立ちと歴史については、追って執筆したい)。ただ、ふるさと村と三輪の谷戸山(里山)では、農業の営みの方法が違うのだ。ふるさと村は、農業生産緑地として、農政によりかんがい設備や農地の区画整理が行われている。一方、三輪地区の山間部の田畑は、耕作不利地としての農業生産の支援はなく、相続などで発生する税金面の支援にとどまり、30年以上耕作を放棄された農地がそのままになっているのだ。そんな中でも先祖が守ってきた農地を、出来れば自分の代で終わらせたくないと必死で耕作を続けてきた農家もいたのだが、現在ではそれもたった一人になってしまった。
私が平成7年から始めた、休耕田を再生し、里山を整備する活動に理解を示してくれる地主も年々増え、12年の歳月が流れた平成19年の春、NPO法人農に学ぶ環境教育ネットワーク設立準備員会で休耕田の開墾を進めている中、突然町田市からこの地域の「三輪緑地(仮称)公園緑地開発構想」が決まったことを知らされた。私はいずれ、そのような形になるであろうと予想はしていた。問題は、なにを目的に開発するかが重要であり、むしろ、我々のNPOとしての真価が問われるときが来たと、胸の高鳴りすら覚えた。
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